頭の運動

問題No.22683 【推理クイズ】泣虫ペダル その1

出題者:名前のない怪物◆[84acc6d]

 南河内サイクルライン。
 八尾市から河内長野市まで続く、大和川・石川の河川敷沿いの道である。
 年金で裕福に暮らす老人が何をとち狂ったか後ろ向きに歩いたりする道である。
 今流行りの飼い主だけにとってかわいい不細工な犬を放し飼いしたりする道である。
 また、ジャージを着た中学生やハニワのような高校生の通学コースである。
 そして、失われた十五年に学校を卒業した不幸なフリーターの通勤コースである。

 しかし何よりも。
 自転車乗りの道である。

 もう一度、道の名前を言おう。
 南河内サイクルライン。
 それは自転車乗りにとって。
 『戦場』である。


 ★ ★ ★ 

〜自転車は都市に残された最後の武器である〜
(ブートレッグのホームページより)


 南河内サイクルラインを走る自転車乗りには、一種独特の連帯感がある。仲間意識、同業者、あるいは宿敵? ハイカーが山路で挨拶を交わすのと同じように、互いに無視できない存在である。
 ところが自転車乗り同士といえど、ことばをやりとりすることはまずない。
 必要ない。
 自転車乗りに必要なもの――それはサングラス越しの見えない視線で充分であるし、何よりも。
 その荒い息遣いはすべてであるし。
 その飛び散る汗はすべてである。
 フレーム、コンポ、ウェア、ライディングフォーム。
 どれもが強烈な自己主張で、驚くほどに多弁で、この言葉は当然、自転車乗りなら誰もが読みとれる程度のものだ。
 俺も――ここでは名前を言わなくてもよいと思う――気がつけば南河内サイクルラインの一員になっていた。歯痒くもあり、誇らしくもあり、疎ましくもあり、何よりも、自分は一人で走っているのではないと感じた時だった。

 ダホンのマコ。
 これが俺のマシンである。
 ダホンと言えば折り畳み自転車の第一人者だ。だが、マコは折り畳みではなく、ミニベロと分類される一台である。
 二十インチのタイヤにドロップハンドル、フルサイズのロードレーサーをそのまま縮小したかのようなフォルム。自転車知らずは小馬鹿にする。特に、五十代の、酒・女・たばこ・車・パチンコ・ゴルフ・テレビしか趣味のない上の下の企業の管理職でメタボリックシンドロームが気になって、大きな自転車屋で店員の口車に乗せられて、三万円前後の安物のクロスバイクを買わされた者は、口々に言う。
「小さいタイヤで遅いししんどいやろ」
 小さいタイヤがしんどいという、中学生レベルの物理もわからないアホウはともかく。
「遅い」
 これは禁句である。
 自転車の速さは、設計と人間で決まる。
 確かに、ほとんどのミニベロは速く走る作りにはなっていない。
 だが。
 ごくまれに、採算を度外視した走るためのミニベロが存在する。二十万円を軽く超える戦う小径車。
 マコは、その稀少な一台である。

 いつものように、南河内サイクルラインを上流へ走る。
 朝。
 左手前、二上山の縁から霞に紛れた日光が、サングラスを貫いて瞳を射る。まだ十分と走っていないので、軽く流す感じでクランクを回していた。フロントギアはインナーに入ったままだ。
 向こうからやってきて通り過ぎる自転車は、たいてい見覚えのあるサイクリストである。
 俺はめぼしい自転車乗りに名前をつけている。もちろん話したこともないし、俺の中でしか通用しない通り名である。が、俺が「よく見かける」と認める以上、相手も「よく見る」と認め、そして自転車乗りの常として、自転車の特徴で覚えているに違いないのだ。
 わかる。俺にはわかる。
 自転車乗りは、自転車しか見ていない。
 また一台、近づいてくる自転車。
「お」
 図らずも声が漏れる。
 久しぶりに見た。
 その自転車は俺と同じくらい流した走りで――それでも様になる姿が憎い!――、お互い微妙に意識しながら、瞬時に通り過ぎていった。
 漆黒の狼のように。
 真っ黒のトラスフレームにドロップハンドル、ブラックアウトしたケンタウルのコンポ、誰の目をも惹かずにはおられないアレックスモールトンの、とことんチューニングした一品だ。どんなに安く見積もっても、俺のマコが二台買える。
 同じミニベロとはいえ、これには一目置かざるを得ない。何しろ、フルサイズのロードに勝つことを至上命題として設計された自転車なのだ。英国紳士の外見とは裏腹の高速性能、羊の皮を被った狼とは上手く言ったものだと思う。
「黒モールトンか」
 振り返ると黒い狼はすでに河川敷のススキに隠れて、後ろ姿もなかった。
 俺は唇を舐め独りごちる。
「まあ、だいたいこの時間に会えるな」
 サイクリストは、いつどの時間にどのあたりを走れば、どんな自転車が走っているか、体が覚えているものだ。曜日を忘れても、すれ違う自転車でわかる。自分のペースの乱れやトレーニングの成果も、すれ違う自転車が教えてくれる。
 黒モールトンに会いたければ、またこの曜日のこの時間にこのあたりを走ればいい。
 それが、南河内サイクルラインで走る者のルール。


※ 問題中に使用されている人名、地域名、会社名、組織名、製品名、イベントなどは架空のものであり、実際に存在するものを示すものではありません。

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泣虫ペダル その1の情報

問題作成日:2019-05-20
解答公開日:2019-11-20最終更新日:2019-05-20 11:47:54(更新回数:1)
更新内容:



正解率:4% (正解回数:5 解答回数:110)

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